きのう日記

ときどきしれっと昨日のことを今日みたいな感じで書く

高い買い物

明けましておめでとうございます。

「よいお年を」も書かないうちに、年が明けました。
無事?冬至にマガジンを刷ることができました。
個人的に色々と課題の残るものではあったけれど、作った時に「作り続けながら考えよう」と決めたことなので、次の制作へ向かうガソリンにしようかなと考えています。

さて、私は先ほど高額な買い物をした(いきなり「です」「ます」口調をやめる!)。
通常、私の高い買い物はたかが知れており、「航空券」「雪国の冬を越すための防寒具」「スーツケース」このあたりが直近の3万円以上の買い物である。

それ以外3万円以下でいうと、「お金に余裕がある時に買ういいお茶」「お金に余裕がある時に買うシャツ類」「たまに行くいい食事、いいお茶」「やむにやまれぬ書籍」だ。

ここからもれるものは、映画のチケット代やフリマアプリや古本屋で買う古本など、1000-3000円の単価のもので、この価格帯のものはあまりカウントしていない。

そして、先ほど私が振り込んだ金額は、私の規定で言うところの3万円以上の買い物である。

内容はというと、講座料金だ。
自分の好きな分野であれば勉強は好きなほうなので、こうしていきなり授業料に大金を使うことが5年に1度くらいのタイミングで起こる。
過去には調香の勉強にと通信のフレグランススクールに入学したこともある。
しかし自分の関心も揺れ動きやすいので、自分のなかで何かに納得してしまうと、だんだんと距離を置くようになり、調香について言うと「自分の好きなブランドや調香師を見つけたし、それ以上のものを自分が作れるとも思わないし、ここから先に進まなくてもいいかも」というので、すっかり気持ちが収まってしまった。

そして、このたびの講座とは、占いについてである。
ジャンルとしても難しいとよく聞く占術で、お金を払ったくせに勉強にちゃんとついていけるかどうかわからず、すでに気持ちがそわそわしている。

「航空券」は、ここ5年で言えばやむにやまれぬ事情という感じで購入したものだ。
「防寒具」「スーツケース」については、おそらく10年近くは使い続ける想定で買った。
さて、今回の買い物「占い」だが、これは私にとって確かに「やむにやまれぬもの」であり、同時に「勉強ほど長持ちするものはない」という考えから来ている。

以前購入した調香については、道具類がまだ室内に残っている。
時々人から頼まれた時など、少し作ってみたりもしているが、まあここ1-2年で言うと「宝の持ち腐れ」に近い状況。
「占い」については自分で勉強しやすくなるための情報を与えてもらうわけだが、具体的にこれといった道具もないと思われる。「宝の持ち腐れ」こそ起こらないだろうが、自分の身にならなければそれこそお金が溶けてしまったということになる。なんて恐ろしい!

講座は2月から始まるのだが、早速今日から講座に向けた読書を始めていこうと思う。
「大金を支払った」このそわそわをなんとか俯瞰するために、こうしてブログを書き綴ってはみたが、やはり気持ちが落ち着くことはないな。
どうか、どうか、自分なりに納得のいく学びとなりますように!

憧れの夏、リヴィエラはいずこ

このブログを作って1年経ったらしい。

私はこの1年何をしていたかなあと考える。
何かに腰を据えて取り組むことができたかなあ?と考える。

今年の夏は暑かった。
暑くて暑くて「暑い、しんどい」以外の感情がなかった気がする。

かと思えば私の住むところなど、いきなり涼しくなってしまって、半袖で夜の自転車乗りは向かい風に少し寒くなってしまうほどだ。
もっとちょうどよく季節が巡ってくれればいいのに、などと考えても無駄ですね。

この1年、時間は少しばかりあったと思う。なにしろZINEを勢いで作ってしまえたくらいだし。なのに、ふと1年を振り返ると「もっとこうできたのかも」や「よく怠けたなあ」などの独り言しか出てこない。

逆に2022年よりも進展した事について考えてみたい。
今年はコロナ前ほどとはいかなくても、映画館にちょこちょこ行くようになったと思う。
昨年は新旧問わず動画配信サービスも入れると43本、新しく映画を見た。
そして今年2023年は8月終わりにして33本なので、昨年の数字は超えられるのではないかと思う。
数にこだわるわけではないけれど、なんとなく年間100本という数字にはキリがよくていいなあ、とちょっと思っていたりする。

最近は、アニメーション関係の映画から受けた衝撃の密度が濃かった。
この間初めてU-NEXTで見た『ムーミン 南の島で楽しくバカンス』など、「絶対に絶対にアートブック欲しい!」と目がギンギンに!
しかもなかなかな風刺が効いていて、ブルジョワアーティストおじさんのくだりなど、爆笑しながらも「これ本当に子ども理解できる?対象年齢とかあるのか?」などと気になった。
うろおぼえだが、ブルジョワムーミンパパに向かって「金持ちじゃない?本当のアート、ボヘミアンだ!」みたいに感激するところなど、大人風味すぎて。
調べてみると、原作的がコミックシリーズのようで、トーベヤンソンと弟の共作のようだった。
コミックシリーズと小説シリーズの違いなども気になるが、海外書籍における対象年齢の扱いなどはいつか調べてみてもいいかもしれない。

あとは色彩と線の引き算にただただうっとり。
写真を全部撮って、配色をスクラップしたいくらい!
もしアートブックが手に入りづらそうだったら、試みてもいいかもしれない。

そんな風にムーミンに感動した最近だった。
映画では、ムーミン一家がバカンスに南・リヴィエラへと繰り出していった。
スノークのお嬢さん、フローレンは「暑い砂浜、夕焼け、カクテル!」みたいな(すみませんこれもうろ覚え)感じで夏の浮かれたムードにうっとりしていた。
私もこれを書きながら、季節にまた置いて行かれてしまったようで、スノークのお嬢さんのように何かここにないものを求める心がうずうずと。

今年の残り、もう少し頻繁に文章を書くようにしてみたいな。

ZINE:BiDiを発行しました!

前回の更新が2月、ということで現在8月ですのよ奥様!

なんとなんと、もう半年が過ぎていました。
そういう私は6月にいきなりZINEを発行してみました。
完全にノリで初めてみましたが、改めてモノづくりって面白い!そんな情熱にフラフラとそそのかされています。

なんか今朝あたりは「これ書きたいな!」とかあったはずなのに、なぜかフッと「それ」がどこかへ行ってしまったようです。

メモ魔のほうではあるのだけれど、なかなかこういうフワッとしたものはメモらずにいるものです、、、
しかし忘れ去られた思いつきや、空想のタネなど、一体どこへ行くんだろうな。
なんかそういうものたちと、いつか夢の中ででもフワッと会えたらいいものだが。

そして、こんなものを作ってみました。

bidi.base.shop


夏と冬、夏至冬至、年2回の発行です。現在次号に向けて企画まっただなかなのです〜よいしょ〜!
また、ちょっとずつブログも更新していけたらいいな。

 

 

起き抜けの矢川澄子

ひとりで洗濯物を干しながら、PCで刀剣乱舞のゲームをしたり、音楽を探して聴いたりするのが好きだ。たぶん「〜ながら」というのが好きなのだと思う。
平日ならば、夫がリモートワークをしているため完全に1人で洗濯物干しというわけにはいかない。夫がいると、少し余裕のある休みの朝は「コーヒー飲む?」と言って、いそいそコーヒーを淹れたり、「鍋でミルクティーを作る」といって、ゴソゴソとわりかし本気のミルクティーを作ってしまう(でも朝食は作らない)。

しかし今日から夫が2泊ほど外に遊びに行ったため、私はいつにも増して「〜ながら」に熱を入れることができる。というか、注意散漫すぎて何かをやっているそばから別の何かを思いつき、そっちにかまけているうちに元々やっていたことを忘れてしまうような脳の仕組みになっている為、同時進行の何かを思い出したり忘れたりしているうちに結果として「〜ながら」の体をなしているとも言える。

最近、市電の定期を作り図書館に通い始めた。そこで借りてきた矢川澄子のエッセイを最近ちょこっとずつ読んでいるけれど、今朝も矢川澄子で始まった。
夫は朝早い便で旅立ったため、ダラダラと昼過ぎに起き出す。昨日のご飯でお茶漬けを作って食べて、ぼーっとしているとお昼に脱毛の予約を入れていたことを思い出し、それまでに洗濯物を干さなければととりあえず洗濯物をまわすも、「やっぱりゆっくりした気持ちで洗濯物を干したいかもしれない、、」と予約をキャンセル。

この脱毛の予約にしたって、3年前勤めていた場所に衣装的なものがあり、ファッションブランドだったこともあって、夏場は薄着でさすがに自分の処理ではアレか?と思って、会社からお金が出るわけでもないけれど「とりあえず脇だけは?」と思って、始めたのである。

根がせこいというかケチなのだけど節約の方に向かうというよりは、「通い放題」みたいなものになるだけ沢山通おうという方向性のケチであるため、この脱毛みたいなものも通い放題というコースにしたのだった。そうこうしてる間にコロナが始まり、元々の目的であった「夏服に合わせた脱毛」も意味なく退職、そして今の夫と一緒に住み始めるというのでお引っ越し。引っ越し先にはその脱毛サロンがしばらくなかったため、「またいつか東京遊びに行った時にでも?」と考えている間に支店ができたため、1年ほどのブランクを経てまた通い出して現在1年たったくらいだろうか。

東京で1年弱通った脱毛もまた振り出しに戻り、また1からである。そういうわけで「せっかくお金を払ったんだから」根性で通っている。今日の用事と言えば脱毛と図書館に行くくらい。そして本を読み終えてなかったので、お昼の脱毛を夕方に変更し、本を読みながら気まぐれで洗濯物を干す。途中で紅茶も飲みたくなり、なかなか夫に出すのは「もったいない」と思ってしまう(失礼!)高い紅茶を淹れて飲む。

夫がいるとゲームしながらの洗濯物はできても、本を読みながらの洗濯物干しは、なかなかやりづらい。何故だろう?わからない。私の中で色んな「ながら〜」があるが、「本を読みながら〜」は1番非生産的で人に見せられない姿だと思っている部分があるのかも。

そして矢川澄子、である。朝ストーブの前にしゃがみながら、澁澤龍彦のくだりになんだか居た堪れなくなって読むのをやめる。読み進められない。
矢川澄子、、、私にももちろん少女というのか、純粋・傷つきやすさと言ったらよいのか、そういう部分はあるけれど、内にずっと向かうというよりは誰しもが持つそういう部分に必要以上に敏感になった挙句、勝手に「この人の少女を守らなければ!」みたいな不思議な正義感となってあらわれてくる方の部分が強くなってしまった。母性とも違うんだけれど、ある程度たくましい。

そうそう、こういう風にぼんやりしながら。しまいにはこうしてブログを綴る始末。
実はあと3割くらい洗濯物が洗濯機に入ったままだ、ふう恐るべし。
いつの間にやら夕方の脱毛もキャンセルしてしまいそう、やれやれ!である。

実は矢川澄子以外にもあと2冊手付かずの本があるのに、もう昼の2時。紅茶も2回目を淹れて「やはり1回目がおいしい、、、」とぼーっとしている。

しかし、こういうぼーっとした時間、ぼーっとした洗濯物干し、ぼーっとした読書、とても贅沢な気持ちになる。

2023年は文章の練習!

私は今年で32になる。

大学2年とか3年の頃にTwitterを始めて、「好きな有名人と繋がれるなんて!」と、とてもドキドキしながらフォローしたりツイートしたりしていたと思う。
大学を卒業したのが2014年で私は上京するのだけれど、そこから4年間の人間関係、友人などはTwitterから始まったと言ってもいいかもしれない。

上京してすぐくらいに出版社でインターンを始めたのだが、それもTwitterで知った情報。

そして生活費をとりあえず稼ぐためのバイト先を見つけられたのも、Twitterで出会った人が口利きしてくれたから。

同じようなタイミングで映画のクラブ活動みたいなものも始めたのだけれど、それもTwitterを通してつながった映画批評家の方が縁だった。

その頃は「若いんだし、とりあえずなんでもやってみよう」という気持ちが強く、なんとなく有名な人にも会ってみたい時期だった。

そしてまたTwitterを通じて何かの雑誌の相談コーナーに応募し、リリーフランキー吉田豪に会って「なんかこの人たち目が怖いな、今後一生会わなくていい」と思った記憶がある。
「なんか相談しないと損な気がする!」みたいな、安売りセールで血迷うみたいな、相談することも無いくせに無理に相談内容を考えるということは時間の無駄だなと思った。

今思えばTwitterはとても輝いた出会いの場で、今もずっと連絡をとるような友人に出会うことができたのもTwitterを通してだった。

その時期私は香水にとても凝っていたため、香水についての情報収集や記録にもTwitterをよく使ったいた。

しかし、香水を好きな人で、尚且つTwitter上で形成されている人間関係「これ買った」報告のようなものが苦じゃない人たちのコミュニティというのは気軽な「セイハロー!」みたいな感じでもなく。

誰が何を持っていて、誰が何を使っているからセンスがいいだの悪いだの、誰が香りを真似して云々など、ややジットリした人間模様を見て過剰に反応してしまい、ある時期にTwitterを全部ストップしてしまったのだった。

Twitterをやめる直前というのは、自分は全然フォローしていないのに、気づくと1日1人くらいのペースでフォロワーが増えていき、何か投稿すると自分が認識もしていないような人たちからすぐさまイイネがつくような感じで、何か見張られているような気味悪さがあって疲れてしまったのだと思う。

そこからは隠遁モードに入っていくのだけれど、しばらくアカウントを休止→削除したのち、また新しいアカウントでTwitterを始めたが、それからはなるだけ人の目を引かないような「訳のわからない日本語」を意図して使うようになった。

旬なテーマ、どこの映画館に行ったかがわかるような映画についてはなるだけ投稿しないとか、行ったコンサート情報も基本は書かない、書くにしても時間差で書くとか。

鍵アカにしたらいいのでは?という考えもあるけれど、鍵をかけるという行為は、なんだかあの頃の戦い(なんだ?笑)に負けた気がして嫌なんだよな。笑
気味が悪い、鍵はかけたくない!とかなんとか言いながら、それでもTwitterをまた始めているのだから私のツイ廃ぶりもなかなかである。笑

そう、そしてそんなわけで出来上がったのが今の私の文体であり、自分にしかわからない暗号のようなブツ切りの文章。
ちょうどTwitter再開と時を同じくして、タロット日記も自分でフィジカルに始めたもんだから尚のこと自分にしかわからない、自分にだけフックがかかるようなキーワードを散りばめるみたいな書き方が染み付いてしまった。

さて、時は2023年1 月。
明けましておめでとうございます!
そして私は今年できたら長めの文章の自費出版をできたらいいなと考えていて。
ここ何年かはまとまった文章を書いておらず、自分にしか理解できない寝言のようなものしか書いていなかったにも関わらず、心の中では「いや、ちゃんと真面目に書いたらそれなりに書けるはず!」と思い込んでいたのである。うーん恥ずかしい。

最近、ちょっと書いてみるかと思ってGoogleドキュメントを開けてみたが、本当に書き出しも書けない、苦笑するしかない。

ということで、今年は長い文章を丁寧に書く練習をしようと思うのです。

もう自費出版企画のほうは走り始めているけれど、同時進行で何か勘みたいなものを思い出せたらいいなとソワソワ考えている。

人間、変な文章ばっかり書いていたら、本当に変な文章しか書けなくなるんですよ!そこのおお姉さん、注意してくださいね!

ああ、、、なんか大学のゼミ?クラブ活動?みたいなものに潜りこもうかな、、、とほほ。

感傷のレゲエ(レゲエ以外の音楽を聴くこと)

私は大学卒業後、4年ほど下北沢に住んでいた。
その間はモラトリアムを謳歌し、いや謳歌というよりそうする他発想がなく、バイトとインターンの生活を1年半ほど続けていた。
その時は「文章を書く仕事をしたい」という気持ちから、とりあえずやってみるかという精神でボランティアライターなど色々やっていた。
そして、面白そうなことがあれば積極的に出かけていき、とりあえず自分の目で確かめてみようという野心、冒険心があった、気がする。

そして下北沢の気流舎へはそんな好奇心が手伝って足を踏み入れた場所だった。
最初に足を踏み入れたのがいつで、そのきっかけになった動機というのも思い出せない。
そこでは色んな人と出会ったのだけれど、その中でも今日書こうと思ったのは長谷川さん、最近起こった長谷川さんにについての不思議なリンクについてだ。

ここブログは自分のために書くと決めているので、長谷川さんがどんな人でどんな思い出がありということは書かず、最近あった面白い出来事について記録しておこうと思う。

長谷川さんの訃報をきいたのはちょうど1年ほど前。
私が長谷川さんと気流舎でよくお話しした時期というのは上にも書いた大学卒業後の4年のどこかだけである。
たぶん2014年、2015年から2017年の間だけ。それっぽっちだ。

にも関わらず、長谷川さんと話をした時の記憶というのは、気流舎の、目に優しいあたたかい明かりの下たちのぼるアジトのようなムードをまとっており、

とても強い記憶。

ゲラゲラ楽しく笑いあうこともあれば、なんか嫌なことを言われ気まずい雰囲気に耐えられず足早に逃げてしまうみたいなこともあり。
とはいえ長谷川さんの訃報を聞いてから、折に触れ長谷川さんとの会話を思い出している。

ちょうど今年の夏に東京で行われた長谷川さんのお別れ会に行ってきたが、その際に形見分けみたいな感じでもらったCD。たまたま手に取ったらハーポ部長から「レゲエのレジェンドです」的なことを言われて、そのまま持ち帰る感じになった。
それがCarlton&The Shoesだった。

私はレゲエを聴かない。
前に飲み会で面白いことがあった。たまたま隣に座った音楽ライターの子と音楽の話になり、「どんな音楽が好きですか?」と聞かれ、「レゲエ以外はなんでも聴くかも。実は前ほど音楽そんなに聴いていなくて。でも学生時代に山下達郎のライブに行った時に『ライブに行くなら山下達郎だけでいい』と思うくらいは感動して、山下達郎はずっと聴いてしまうから好きなのかも」という話をしたところ(答え方がめんどうくさい)、「確かに山下達郎はレゲエ以外かも」と言われたのだった。
理由はわからないけれど、レゲエに触手がのびない。
そう、そして話を戻すと私は今年の夏、そのお別れ会でレゲエを貰ってきたのだった。

そしてつい最近私は髪を切りに行ってきた。
そこで切ってくれた人はDJをしているらしく、音楽の話になった。
そして久しぶりに耳にする質問「どんな音楽好きですか?」

たぶん私は面倒くさがりなのかもしれない、できるだけ相手が共通点を見つけやすいようにという気持ちがあるのかないのかは定かではないが、なんでも容器の大きなほうで答えようとしてしまう。
「レゲエ以外は割となんでも」

でも面白いもので、そう言うとレゲエについて色々教えてくれる気概のある人というのはいる。
そしてその美容師の方もそういう方だった、そして「たぶん聴かないから知らないだけで、色んなレゲエがあるんですよ」とレゲエの話をしてくれた。
そしてオススメのアーティストを教えてくれたので、とりあえずiPhoneにメモしたのだった。
家に帰り、Spotifyを立ち上げメモを見ながらアーティストを調べた。
そうすると、見覚えのあるジャケット。

「アナタでしたか!」そんな心境で長谷川さんのCDを取り出した。

そしてそれから1週間、ほどなくしてハーポ部長から「長谷川さんのZineできました」と連絡をいただいた。
長谷川さんに呼ばれているような気がした、というか私が呼んでいるのかも。笑

そういえばそのお別れ会にて、長谷川さんのCDラックを前にして私の夫もハーポ部長から「どんな音楽聴きますか?」ときかれていた。
夫はメタル聴きであるが、「メタルとクラシック」と答え、「ああ色んな音楽があるけど、その2つだけは無いかも、、、形式美が好きなんですね」なんて言われていた。笑
そして私も思い出した、「私の聴く音楽はレゲエ以外じゃないな、レゲエとメタル以外の音楽だ!」と。

お別れ会で持って帰った時以来に CDを引っ張り出して聴いてみた。
ほのかにまだインセンスが香るCD、この香りもいつか消えてしまうのだろう。

 

 師走だなんてそんなアナタ!

なんと前回書いた記事が9月。

夫と帰省に向けての英語がどうのこうのの記事。
確かに10月に無事彼の母国へ行って帰ってきて、ついでに11月は大阪で朗読のイベントもやってきた。

旅先の英語についてはカタコトと言えど、さすがに1年イングリッシュスピーカーと一緒に住むと、リスニングが3年前とは雲泥の差というか。

日本人に対してですら、好きなジャンルとか譲れない理論みたいなところ以外では特に言いたいこともないし、基本は親しい人としか突っ込んで話さない性格だから、海外については尚更なのは目に見えている。

基本微笑み、とりあえずイエスかノーで答えて、勝手に「この人は合いそう合わなさそう」的なことを考えながら、時々他のことを考えていたら時間が過ぎ去っていた。笑

彼の地元のバーで彼の幼馴染たちから「大丈夫?楽しんでる?」と気を遣われたけど、別に日本人で言葉通じる通じないに限らず、他人の地元に行ったところで、とりたててやることないのは一緒だろうが!とか思いつつ、「うんうん昨日飲みすぎて喉が酒焼け、声が出づらくて(これは本当)」と答えたりして。

もっと言うと、自分の地元では絶対に親密そうなバーや飲み屋には行かない。
これは好みとかそういう生ぬるいものではなく、完全に私の意思において、である(ピシッ)。

社交場に対して、「絶対に行かない」と「(意思を超えて)さすがに行くしかなさそうだ」の2択くらいしか選択肢持ってない人間というのは、たぶん海外でもそこまでやること変わらないんじゃないだろうかと思う。

そんなわけで、彼の友達に心配されたり、滞在先の彼の友人からは「よし彼女を喜ばせよう」という気遣いからVRやらせてもらったり、などなど。

基本人に気を遣われていたような気がするが、私は私で「もう堪忍してくだせえ」という感じだったので、お互いそれぞれやることはやったよね、という感じすらある。

赤毛のアンの朗読が役に立ったかどうかはわからないけれど、とりあえず怠け癖激しい私は「いや前よりはだいぶ聞き取れるようになった、これから後は私にどうしても話したいことがあるかないか、そういう相手に出会うかどうかによるところが大きい」という結論に至りました、はい。

しかし12月か、、、今月はできたら東京ドキュメンタリーフェスティバルになんとか顔を出せたらと思っている。