きのう日記

ときどき、しれっと。昨日のことを今日みたいな感じで書く。

外に出る私と運勢は関係があるか?

去年の夏くらいから、いきなりネットショッピングに目覚めた。

手始めに楽天、zozotown、そして最近はQoo10。
2月になってメインで使っているクレジットカードに、ちょっとしたポイントプレゼントがあったのも相まってショッピングが捗る捗る。
特にQoo10、恐ろしいくらいのハイ状態になる、うっ怖い。

とはいえもうすぐなくなりそうなスキンケアを中心に、「いずれ使うもの」要因として買っているので、いつか使うお金をお得な今使って何が問題がありましょう。そういうメンタルでいる。

 

この3、4年ほどを思い返すと、コロナでマスクをつけるようになってからほとんど化粧もしなくなり、スキンケアも働いているところに関係のあるものを社販で買う程度。

商品の内容、成分についてもよく調べず、社販の「お得であろう」という色眼鏡と、内容どうこうよりもブランド力に甘んじ、そして面倒だし1回でパパッと済ませよう(職場で買って終わり)という怠惰な魂胆によって、だった。

「スキンケアや化粧に気を遣う=絶好調」というふうには思わないけれど、当然のこととして見た目に気を遣ったほうが他者からの反応がいい。

コロナの時期はとにかく色々心配で、情報を調べまくっては心配し、家にひきこもっていた。しかし同居人がいたので、ひきこもりと言えど2人楽しく家をエンジョイした。

1番引きこもりを極めていた時期から1年ほどたった時のことだったが、もともと占い好きだった私は前から気になっていた四柱推命の先生に運勢を見てもらうことになった。そこで言われたことが、この引きこもりの時期について「あなたにとっては、そんなによくない星巡りだったんですよね」ということだった。

自分としては「外の人にはそんなに会わなかったけど、家の中では色々映画を見たり、食を楽しんだり、相当楽しい時間だったんだけど!」と驚く私。

自分としては、とにかく内に充実をはかりムーミンの冬ごもりみたいなノリできゃっきゃしていたけれど、たまに人に会うと言ったら月に2回ほど人を家に招く程度。インドアの延長に他者がしばしお邪魔しているような状況だったかもしれない。

そして、この3、4年。
私はちょこちょこ外に出るようにはなったものの、新しい環境というのもありオシャレどうこうより、まずは現実的な買い物が優先だった。
新しく始めたものとしては同居人の趣味もあってコーヒー、そして近所のカフェ開拓。
しかし、コロナ前ほどの社交性は取り戻しておらず、おずおずとした感じ。

それが今年になってから流れが少し変わってきたような気がしている。
外に出る習慣ができ、それにともない徐々に衣服に新しいものが加わるようになった。
そして最初にも書いたネットショッピングという、私にとっての新しい発明!

前までは実家に帰ると「いつまでそんなボロボロの似たような服ばっかり着ているの、新しいのをいいかげん買いなさい」と母親から言われていたが、最近は色味もテイストも明らかに春の兆し。

この3、4年は久しぶりに会った友達からは「あれ?前はメイクしてなかったっけ?やめたの?」と言われるなどしていたが、特に意に介すこともなく「ね〜」と適当な返事。「いや、コーヒーとケーキがおいしくて、そっちばっかなっちゃうね〜」とヘラヘラするばかり。

それがここに来てネットショッピングブーム。それによってか明らかに身だしなみに気を入れ始める私。

私は来月が誕生日なのだけど、次の誕生日からは大運といって四柱推命で言う10年の大きな運気の流れが変わることになっている。

引きこもりも好きだったけれど、身だしなみに気を付けるようになり、外に出る機会も増えた。というのも、相手の反応がいいと外に出るハードルもどんどん下がってくるような気がするんだよね。

コロナの引きこもりマインドが私にとって「悪かった」とするなら、今の外向きの華やかなムードは「良い」という判断になるのかもしれない。

コロナの心配の仕方にしても、同じ「コロナ」という状況への反応が人によって様々ななかで、ああいう心配という反応として出ることは確かによくなかったのかもと最近は思っている。

人を時々占いようになった現在は、自分のこの反応や空気感、自分が作り出すムードも運勢というのを捉える上でのひとつの引き出しになったなあと面白く感じているところ!

去年と今年明けてからは、荒ぶる壬(みずのえ)さんを見る機会が多かったなあと振り返っています。今、ここに書いたような私が感じていることも、もう少し今年が進んだところで振り返って検証してみたいことではあります。

さて!Qoo10については、基本は公式から買うように気をつけたのだけれど、先ほど買った日焼け止め下地はもしかすると偽物をつかまされたっぽい(買った後で念入りにレビューを見てみたら、何件かそういう事例を発見)。

とほほのほ〜!

とはいえ、これもお勉強と思ってこの新しい気持ちをエンジョイしてみようと思います!

 

実家整理で火がつくコレクション欲

またもや新年、2025年。

前回の日記が「占いの講座に大金を払った」という内容のものでした。
さて、それでは1年以上がたった今どうか。
なんと予想以上にハマっています。というか、予定立ての軸にするくらいには自分でなんとなくのアタリをつけるのに利用しまくっています。

なんなら去年の年末からお金をもらって友人の友人くらいの距離感の人を占ったりもしています(友人の距離感なら「当たっている、ハズれているを正直に教えてね」というのを交換条件に、生年月日を聞いて結果を勝手に送るというのをやっていました)。

そんなわけで大金はたいた効果は十分あったと思います。
パズルゲームを延々と解くような楽しさがあって、支払った分を十分に取り返したような気になっています。一方でちょっと知ればどんどん知りたくなるというのも事実で、今まではベースとなる知識がなく尻込みしていた書籍にも挑戦するようになり、結果として出費が増えているようにも思う占いです。

そんな私は去年の秋口くらいから、不思議なゆったりとした時間の中にいます。
色々用事があって、実家に2、3週間滞在することもちょこちょこありました。
仕事も秋口に全部オフにしてしまったので、家でやることと言えば実家の整理くらいのものです。

うちの家族はとにかく物持ちの人たちで、使いもしないのにまあそんなによく集めたと感心してしまうくらいの物量を所有しているのです。そんな「ブツ」をひたすら点検していきます。捨てるものは捨て、使えるものは前線に復帰させ、お掃除の余地あればお掃除をしてあげ、いらないけれどそれなりにまだ使い手がいそうなものはフリマアプリに出品などなど。

そうやって日々フリマアプリと仲良くしているとスマホとの接点が増えるからなのか、ネットショッピングとも親和性が高くなってしまいます。物を減らしながら増やしているのか?と何が何やらな状況ですが、これも家の新陳代謝と思いたい。

先ほどは自分の家族を「とにかく物持ちで」と、さも自分は該当しないかのように書いてしまいましたが、何を隠そう私もなかなかのコレクション癖を持っているタチ。では私はなに集めたい人なのかと言うと、めるへんめーかー先生の作品を集めたい人なのでした。

私の実家には80年代後半から90年代初頭にかけて父が集めた『MOE』がありました。私は全く世代ではありませんでしたが、物心ついてからパラパラとめくった漫画ページでめるへんめーかー先生の『星降る森のリトル魔女』に出会い、それからずっと先生の作品に胸をときめかせるようになります。

『MOE』と言うと絵本のある暮らしをうたった月刊誌ですが、昔は『コミック・モエ』というのも発行していたようですが(この辺りの流れもいつかまとめてみたい)、私が最初に見たのは『MOE』の雑誌内に組み込まれた漫画ページと記憶しています。

小学校に上がると父親のマガジンを脱して自分で色々探すようになり、めるへんめーかー先生ともやや遠ざかってしまいましたが、メルカリやラクマなどが出てきてからは「こ、これは!」と暇を見つけて作品を集めるようになりました。

何年か前には「ファンタジーコミック傑作アンソロジー」を冠している冊子もガサっと手に入れ、ほくほく。今回の整理期間ではそれらの懐かしきコレクションたちとも再会。ネットショッピングにもハマってしまったと書きましたが、ようやく(?)楽天のお買い物リレーという文化にも参入しました。

これまで私がめるへんめーかー先生の作品を漁る時は、基本メルカリかラクマだったのですが、今回は楽天のフォーマットからヒットしたネットオフを利用しました。

不思議の森の物語 3

送料込みで229円。す、すごい。
自分が調べた時は、500円台が平均値の価格設定だったと思います。これを競った時は「200円台で買えるなんて、どこまで汚いのが来るかな。許容できるといいな」と弱気になっていましたが、これなら全然問題なし!

都会に住んでいた頃は近所の古本屋を定期的に巡っていましたが、最近は歩いて行けるところに古本屋はおろか、本屋もなく。そんな私にはネット古本、本当にありがたい。しかも「われ、めるへんめーかー先生のものならば全部ほしいぞよ」なコンディションの自分には、ネット巡回とっても楽ですね。

『不思議の森の物語』シリーズは以前1と2は買っていたので、今回のでようやく全巻揃いました。揃ったところで読み始めようと思います。

 

さて、久しぶりのブログ。熱量が高くなってしまいました。
それもこれも実家の整理でくしくもコレクション熱が刺激されてしまったからですね。
めるへんめーかー先生の初期のものも集め始めたいぞ!ということで、出版情報の整理場所としてもここを有効活用していけたらいいな。

 

高い買い物

明けましておめでとうございます。

「よいお年を」も書かないうちに、年が明けました。
無事?冬至にマガジンを刷ることができました。
個人的に色々と課題の残るものではあったけれど、作った時に「作り続けながら考えよう」と決めたことなので、次の制作へ向かうガソリンにしようかなと考えています。

さて、私は先ほど高額な買い物をした(いきなり「です」「ます」口調をやめる!)。
通常、私の高い買い物はたかが知れており、「航空券」「雪国の冬を越すための防寒具」「スーツケース」このあたりが直近の3万円以上の買い物である。

それ以外3万円以下でいうと、「お金に余裕がある時に買ういいお茶」「お金に余裕がある時に買うシャツ類」「たまに行くいい食事、いいお茶」「やむにやまれぬ書籍」だ。

ここからもれるものは、映画のチケット代やフリマアプリや古本屋で買う古本など、1000-3000円の単価のもので、この価格帯のものはあまりカウントしていない。

そして、先ほど私が振り込んだ金額は、私の規定で言うところの3万円以上の買い物である。

内容はというと、講座料金だ。
自分の好きな分野であれば勉強は好きなほうなので、こうしていきなり授業料に大金を使うことが5年に1度くらいのタイミングで起こる。
過去には調香の勉強にと通信のフレグランススクールに入学したこともある。
しかし自分の関心も揺れ動きやすいので、自分のなかで何かに納得してしまうと、だんだんと距離を置くようになり、調香について言うと「自分の好きなブランドや調香師を見つけたし、それ以上のものを自分が作れるとも思わないし、ここから先に進まなくてもいいかも」というので、すっかり気持ちが収まってしまった。

そして、このたびの講座とは、占いについてである。
ジャンルとしても難しいとよく聞く占術で、お金を払ったくせに勉強にちゃんとついていけるかどうかわからず、すでに気持ちがそわそわしている。

「航空券」は、ここ5年で言えばやむにやまれぬ事情という感じで購入したものだ。
「防寒具」「スーツケース」については、おそらく10年近くは使い続ける想定で買った。
さて、今回の買い物「占い」だが、これは私にとって確かに「やむにやまれぬもの」であり、同時に「勉強ほど長持ちするものはない」という考えから来ている。

以前購入した調香については、道具類がまだ室内に残っている。
時々人から頼まれた時など、少し作ってみたりもしているが、まあここ1-2年で言うと「宝の持ち腐れ」に近い状況。
「占い」については自分で勉強しやすくなるための情報を与えてもらうわけだが、具体的にこれといった道具もないと思われる。「宝の持ち腐れ」こそ起こらないだろうが、自分の身にならなければそれこそお金が溶けてしまったということになる。なんて恐ろしい!

講座は2月から始まるのだが、早速今日から講座に向けた読書を始めていこうと思う。
「大金を支払った」このそわそわをなんとか俯瞰するために、こうしてブログを書き綴ってはみたが、やはり気持ちが落ち着くことはないな。
どうか、どうか、自分なりに納得のいく学びとなりますように!

憧れの夏、リヴィエラはいずこ

このブログを作って1年経ったらしい。

私はこの1年何をしていたかなあと考える。
何かに腰を据えて取り組むことができたかなあ?と考える。

今年の夏は暑かった。
暑くて暑くて「暑い、しんどい」以外の感情がなかった気がする。

かと思えば私の住むところなど、いきなり涼しくなってしまって、半袖で夜の自転車乗りは向かい風に少し寒くなってしまうほどだ。
もっとちょうどよく季節が巡ってくれればいいのに、などと考えても無駄ですね。

この1年、時間は少しばかりあったと思う。なにしろZINEを勢いで作ってしまえたくらいだし。なのに、ふと1年を振り返ると「もっとこうできたのかも」や「よく怠けたなあ」などの独り言しか出てこない。

逆に2022年よりも進展した事について考えてみたい。
今年はコロナ前ほどとはいかなくても、映画館にちょこちょこ行くようになったと思う。
昨年は新旧問わず動画配信サービスも入れると43本、新しく映画を見た。
そして今年2023年は8月終わりにして33本なので、昨年の数字は超えられるのではないかと思う。
数にこだわるわけではないけれど、なんとなく年間100本という数字にはキリがよくていいなあ、とちょっと思っていたりする。

最近は、アニメーション関係の映画から受けた衝撃の密度が濃かった。
この間初めてU-NEXTで見た『ムーミン 南の島で楽しくバカンス』など、「絶対に絶対にアートブック欲しい!」と目がギンギンに!
しかもなかなかな風刺が効いていて、ブルジョワアーティストおじさんのくだりなど、爆笑しながらも「これ本当に子ども理解できる?対象年齢とかあるのか?」などと気になった。
うろおぼえだが、ブルジョワがムーミンパパに向かって「金持ちじゃない?本当のアート、ボヘミアンだ!」みたいに感激するところなど、大人風味すぎて。
調べてみると、原作的がコミックシリーズのようで、トーベヤンソンと弟の共作のようだった。
コミックシリーズと小説シリーズの違いなども気になるが、海外書籍における対象年齢の扱いなどはいつか調べてみてもいいかもしれない。

あとは色彩と線の引き算にただただうっとり。
写真を全部撮って、配色をスクラップしたいくらい!
もしアートブックが手に入りづらそうだったら、試みてもいいかもしれない。

そんな風にムーミンに感動した最近だった。
映画では、ムーミン一家がバカンスに南・リヴィエラへと繰り出していった。
スノークのお嬢さん、フローレンは「暑い砂浜、夕焼け、カクテル!」みたいな(すみませんこれもうろ覚え)感じで夏の浮かれたムードにうっとりしていた。
私もこれを書きながら、季節にまた置いて行かれてしまったようで、スノークのお嬢さんのように何かここにないものを求める心がうずうずと。

今年の残り、もう少し頻繁に文章を書くようにしてみたいな。

ZINE:BiDiを発行しました!

前回の更新が2月、ということで現在8月ですのよ奥様!

なんとなんと、もう半年が過ぎていました。
そういう私は6月にいきなりZINEを発行してみました。
完全にノリで初めてみましたが、改めてモノづくりって面白い!そんな情熱にフラフラとそそのかされています。

なんか今朝あたりは「これ書きたいな!」とかあったはずなのに、なぜかフッと「それ」がどこかへ行ってしまったようです。

メモ魔のほうではあるのだけれど、なかなかこういうフワッとしたものはメモらずにいるものです、、、
しかし忘れ去られた思いつきや、空想のタネなど、一体どこへ行くんだろうな。
なんかそういうものたちと、いつか夢の中ででもフワッと会えたらいいものだが。

そして、こんなものを作ってみました。

bidi.base.shop


夏と冬、夏至と冬至、年2回の発行です。現在次号に向けて企画まっただなかなのです〜よいしょ〜!
また、ちょっとずつブログも更新していけたらいいな。

 

 

起き抜けの矢川澄子

ひとりで洗濯物を干しながら、PCで刀剣乱舞のゲームをしたり、音楽を探して聴いたりするのが好きだ。たぶん「〜ながら」というのが好きなのだと思う。
平日ならば、夫がリモートワークをしているため完全に1人で洗濯物干しというわけにはいかない。夫がいると、少し余裕のある休みの朝は「コーヒー飲む?」と言って、いそいそコーヒーを淹れたり、「鍋でミルクティーを作る」といって、ゴソゴソとわりかし本気のミルクティーを作ってしまう(でも朝食は作らない)。

しかし今日から夫が2泊ほど外に遊びに行ったため、私はいつにも増して「〜ながら」に熱を入れることができる。というか、注意散漫すぎて何かをやっているそばから別の何かを思いつき、そっちにかまけているうちに元々やっていたことを忘れてしまうような脳の仕組みになっている為、同時進行の何かを思い出したり忘れたりしているうちに結果として「〜ながら」の体をなしているとも言える。

最近、市電の定期を作り図書館に通い始めた。そこで借りてきた矢川澄子のエッセイを最近ちょこっとずつ読んでいるけれど、今朝も矢川澄子で始まった。
夫は朝早い便で旅立ったため、ダラダラと昼過ぎに起き出す。昨日のご飯でお茶漬けを作って食べて、ぼーっとしているとお昼に脱毛の予約を入れていたことを思い出し、それまでに洗濯物を干さなければととりあえず洗濯物をまわすも、「やっぱりゆっくりした気持ちで洗濯物を干したいかもしれない、、」と予約をキャンセル。

この脱毛の予約にしたって、3年前勤めていた場所に衣装的なものがあり、ファッションブランドだったこともあって、夏場は薄着でさすがに自分の処理ではアレか?と思って、会社からお金が出るわけでもないけれど「とりあえず脇だけは?」と思って、始めたのである。

根がせこいというかケチなのだけど節約の方に向かうというよりは、「通い放題」みたいなものになるだけ沢山通おうという方向性のケチであるため、この脱毛みたいなものも通い放題というコースにしたのだった。そうこうしてる間にコロナが始まり、元々の目的であった「夏服に合わせた脱毛」も意味なく退職、そして今の夫と一緒に住み始めるというのでお引っ越し。引っ越し先にはその脱毛サロンがしばらくなかったため、「またいつか東京遊びに行った時にでも?」と考えている間に支店ができたため、1年ほどのブランクを経てまた通い出して現在1年たったくらいだろうか。

東京で1年弱通った脱毛もまた振り出しに戻り、また1からである。そういうわけで「せっかくお金を払ったんだから」根性で通っている。今日の用事と言えば脱毛と図書館に行くくらい。そして本を読み終えてなかったので、お昼の脱毛を夕方に変更し、本を読みながら気まぐれで洗濯物を干す。途中で紅茶も飲みたくなり、なかなか夫に出すのは「もったいない」と思ってしまう(失礼!)高い紅茶を淹れて飲む。

夫がいるとゲームしながらの洗濯物はできても、本を読みながらの洗濯物干しは、なかなかやりづらい。何故だろう?わからない。私の中で色んな「ながら〜」があるが、「本を読みながら〜」は1番非生産的で人に見せられない姿だと思っている部分があるのかも。

そして矢川澄子、である。朝ストーブの前にしゃがみながら、澁澤龍彦のくだりになんだか居た堪れなくなって読むのをやめる。読み進められない。
矢川澄子、、、私にももちろん少女というのか、純粋・傷つきやすさと言ったらよいのか、そういう部分はあるけれど、内にずっと向かうというよりは誰しもが持つそういう部分に必要以上に敏感になった挙句、勝手に「この人の少女を守らなければ!」みたいな不思議な正義感となってあらわれてくる方の部分が強くなってしまった。母性とも違うんだけれど、ある程度たくましい。

そうそう、こういう風にぼんやりしながら。しまいにはこうしてブログを綴る始末。
実はあと3割くらい洗濯物が洗濯機に入ったままだ、ふう恐るべし。
いつの間にやら夕方の脱毛もキャンセルしてしまいそう、やれやれ!である。

実は矢川澄子以外にもあと2冊手付かずの本があるのに、もう昼の2時。紅茶も2回目を淹れて「やはり1回目がおいしい、、、」とぼーっとしている。

しかし、こういうぼーっとした時間、ぼーっとした洗濯物干し、ぼーっとした読書、とても贅沢な気持ちになる。

2023年は文章の練習!

私は今年で32になる。

大学2年とか3年の頃にTwitterを始めて、「好きな有名人と繋がれるなんて!」と、とてもドキドキしながらフォローしたりツイートしたりしていたと思う。
大学を卒業したのが2014年で私は上京するのだけれど、そこから4年間の人間関係、友人などはTwitterから始まったと言ってもいいかもしれない。

上京してすぐくらいに出版社でインターンを始めたのだが、それもTwitterで知った情報。

そして生活費をとりあえず稼ぐためのバイト先を見つけられたのも、Twitterで出会った人が口利きしてくれたから。

同じようなタイミングで映画のクラブ活動みたいなものも始めたのだけれど、それもTwitterを通してつながった映画批評家の方が縁だった。

その頃は「若いんだし、とりあえずなんでもやってみよう」という気持ちが強く、なんとなく有名な人にも会ってみたい時期だった。

そしてまたTwitterを通じて何かの雑誌の相談コーナーに応募し、リリーフランキーと吉田豪に会って「なんかこの人たち目が怖いな、今後一生会わなくていい」と思った記憶がある。
「なんか相談しないと損な気がする!」みたいな、安売りセールで血迷うみたいな、相談することも無いくせに無理に相談内容を考えるということは時間の無駄だなと思った。

今思えばTwitterはとても輝いた出会いの場で、今もずっと連絡をとるような友人に出会うことができたのもTwitterを通してだった。

その時期私は香水にとても凝っていたため、香水についての情報収集や記録にもTwitterをよく使ったいた。

しかし、香水を好きな人で、尚且つTwitter上で形成されている人間関係「これ買った」報告のようなものが苦じゃない人たちのコミュニティというのは気軽な「セイハロー!」みたいな感じでもなく。

誰が何を持っていて、誰が何を使っているからセンスがいいだの悪いだの、誰が香りを真似して云々など、ややジットリした人間模様を見て過剰に反応してしまい、ある時期にTwitterを全部ストップしてしまったのだった。

Twitterをやめる直前というのは、自分は全然フォローしていないのに、気づくと1日1人くらいのペースでフォロワーが増えていき、何か投稿すると自分が認識もしていないような人たちからすぐさまイイネがつくような感じで、何か見張られているような気味悪さがあって疲れてしまったのだと思う。

そこからは隠遁モードに入っていくのだけれど、しばらくアカウントを休止→削除したのち、また新しいアカウントでTwitterを始めたが、それからはなるだけ人の目を引かないような「訳のわからない日本語」を意図して使うようになった。

旬なテーマ、どこの映画館に行ったかがわかるような映画についてはなるだけ投稿しないとか、行ったコンサート情報も基本は書かない、書くにしても時間差で書くとか。

鍵アカにしたらいいのでは?という考えもあるけれど、鍵をかけるという行為は、なんだかあの頃の戦い(なんだ?笑)に負けた気がして嫌なんだよな。笑
気味が悪い、鍵はかけたくない!とかなんとか言いながら、それでもTwitterをまた始めているのだから私のツイ廃ぶりもなかなかである。笑

そう、そしてそんなわけで出来上がったのが今の私の文体であり、自分にしかわからない暗号のようなブツ切りの文章。
ちょうどTwitter再開と時を同じくして、タロット日記も自分でフィジカルに始めたもんだから尚のこと自分にしかわからない、自分にだけフックがかかるようなキーワードを散りばめるみたいな書き方が染み付いてしまった。

さて、時は2023年1 月。
明けましておめでとうございます!
そして私は今年できたら長めの文章の自費出版をできたらいいなと考えていて。
ここ何年かはまとまった文章を書いておらず、自分にしか理解できない寝言のようなものしか書いていなかったにも関わらず、心の中では「いや、ちゃんと真面目に書いたらそれなりに書けるはず!」と思い込んでいたのである。うーん恥ずかしい。

最近、ちょっと書いてみるかと思ってGoogleドキュメントを開けてみたが、本当に書き出しも書けない、苦笑するしかない。

ということで、今年は長い文章を丁寧に書く練習をしようと思うのです。

もう自費出版企画のほうは走り始めているけれど、同時進行で何か勘みたいなものを思い出せたらいいなとソワソワ考えている。

人間、変な文章ばっかり書いていたら、本当に変な文章しか書けなくなるんですよ!そこのおお姉さん、注意してくださいね!

ああ、、、なんか大学のゼミ?クラブ活動?みたいなものに潜りこもうかな、、、とほほ。